弘子の母親です。


初めて皆様にご挨拶致します。
弘子の母親です。

弘子が余命半年と告げられてから暫くのち、神の憐れみ心の如き、前田朋己さんと出逢いました。
人生で一番辛く、絶望的な時に、人生で一番重要で大事な人に出逢いました。

この5年間、弘子の精神を支え、心を支え、生きる希望と気力を与え続けてきました。
朋己さんの博愛に、感謝を表す言葉はありません!

実家に帰ってきた時、何時も朋己さんのお父さん、お母さんや妹さんが、心細かく、気を使ってくれて、
実の娘以上に大事にされていると、幸せに微笑みながら話していました!

弘子は、
“不幸やねんけど、今が幸せ!
“心残りは?”と聞かれたら、
“朋己さんを愛したらない!”
とよく言っていました。

弘子の人生最後の25日間。
朋己さんは、昼間の仕事を終え、往復3時間の道を黙々と往復し、弘子の看病をしました。
頭が回らなくなった母親の私にとって、とても心強かった。
毎日夜10時過ぎに帰って行き、翌日は涙と悲しみを噛み締めながら、お勤めに。。。

lCUから、一般病棟に移動してからは、朋己さんのお父さんとお母さんと妹さんも毎日のように看病に来ました。
帰る迄に何時間もずっと、弘子にマッサージをしてくださりました。
感謝の気持ちで、胸いっぱいです!

弘子の人生は短かったけれども、こんな夫と家族に恵まれて、幸せです。
弘子はずっと眠ったままだったけど、思いは通じていたと思います。
臨終後、酸素吸入器の管を抜いた後の口元は笑みを浮かべていました。
幸せな気持ちで旅だったと思います。

此処に、娘、山下弘子の短い人生に、愛と情を与えてくれました、
前田朋己さん一家に、心から、御礼申し上げます!

今までありがとうございました。



夫の前田朋己です。
ひろに多くの激励や祈りをありがとうございました。

3月25日 午前6時42分
彼女は、病院で家族に見守られながら静かに息を引き取りました。

2月28日に緊急入院する直前までは体調も戻りつつあり、
前日には1泊2日で京都のお寺巡り・芸妓体験をしていたぐらいです。

しかし、肺にあるがんが大きくなり、気管からの出血が止まらず肺機能が低下し、入院から意識を戻すことなく、突然の出来事に至りました。

彼女は19歳で余命半年と宣告されましたが、医師も驚くほど活発に様々なことにチャレンジをしてきました。全国での講演活動や書籍の出版、30近い国を巡り、ダイビングに富士登山。

そんな、彼女の生き方や考えは多くの人に影響を与え、光を照らしてきたと思います。

通夜の夜11時過ぎに、50代くらいの男性がお見えになりました。
「面識はないが彼女は命の恩人だ。ぜひ焼香をさせて欲しい。」
ひろにお会いいただいた後にお話を伺うと、その男性も肝臓癌で、ステージⅢとのこと。
がんと判明した後は、自暴自棄になり、会社を辞め、治療も拒否していたそうです。
しかし、彼女の生き方を目にして、こんなに若い子が頑張ってるんならと、勇気を出して治療を行い、なんと完治。2月からは再就職も果たしたそうです。

ひろが多くの人に与えた影響を改めて実感しました。
私にとってのひろは、最愛の妻であり、最高の友でもあり、偉大な恩師でもありました。
彼女と過ごした約5年間が私の人生で一番幸せな時間だったと思います。

どうか次の人生では、健康に生まれて、素敵な人に出会って、子供を授かって、また、素晴らしい人生を歩んでほしいと思います。

彼女の次の人生もまた、笑顔と光で包まれていることを心から願っています。


ご覧いただいた皆さん。
これまで、ありがとうございました。

ぜひ、今を生きてください。
それが、ひろへの最高の餞になります。