不条理だと思うこと


先日の講演で、ある方からこんな質問を頂きました。

「どうして自分がガンになったのか、不条理だとおもったことはありませんか?」
という質問を頂きました。

ないと言えば嘘になりますが、
「ほとんどない、限りなくゼロに近いほどない」とでも言いましょう。

ガンになった直後は、不条理だと思う前に…
「手術できる」「自分は助かる」と思ったので、「なんで私ががんに!」っと思った事は無かったですね。
その半年後に転移が見つかった時に、大ショックを受けた時に、そのときはありました。「どうして私が!」と神様を怨んだことが1、2度会ったのは鮮明に覚えています。
その後から本日まで、不条理だ!と思った事は無いな~(少なくとも今は思い出せない…。)

だって、「どうして私がガンになったの!?」っと思ったとしても、現実を今すぐに変える事は出来ない。
そして、そうやって思う事によって、だんだんとイヤな気持ちになってくると思う。
「なんで私がガンになったの!?」って思っていても、何も変わらないからです。(なぜか二度言いましたね…)

なってしまった現実を変える事は出来ないけれど、なった状況からいかに過ごす事が出来るのかを決める事は出来ます。

なって、悲しむにくれるよりも、
どんな状況になったとしても、その状況で自分自身ができる精一杯の事をしたいと思っています。

がんになったけれど、私はガンになっていても、ただただ幸せに笑いたいだけです。
ただただ幸せになれる方の選択肢をしているにすぎないのです。

もちろん、理論ではわかっていても、なかなか出来ないのが人間です。
そんなとき、私は無理矢理自分のテンション、気分、違う方に目を向けてみる事にします。
楽しいテレビを見て、大声で笑う。
家族と何気ない時間を一緒に過ごす。

そして、「ああ、自分は幸せだ」って気づく。

イヤな方面に目を向けると、どんどんイヤなモノばかりが目につきます。
だから、おもいっきって、見ない事にします。
幸せな方に180度方向を変えます。
幸せな方に目をこらします。

ガンになったからといって、笑う事が出来ないなんて事はないのです。
どんな状況でも、幸せになる権利も、方法もあります。

よく「かわいそうだ」と言われますが、
どうしてでしょうか…。

私は自分の事をかわいそうだと思った事は一度もありません。

かわいそうだっとおもうと、本当にかわいそうになってきます。

自分の人生、誰かに「こうだ」と決められるのではなく、自分自身で自分らしく!
私はただ、そんな状況だったとしても、幸せになれる選択肢をしているのにすぎません。

ガンになってからの方が、何倍も人生充実しています。

そういえば、最近の休みはいつだっけ…
毎日なんだかんだ言いながら、いろんな用事があり忙しくしています。
講演、会社の経理、会社のお仕事、いろんな打ち合わせ等、あ、あと病院ですね…
いやだな~って思いながら日々を過ごすのか、それとも全部の出来事に感謝をしながら幸せにこなすのか…全く意味が違ってくるのだと思います。
私は今、幸せです。

例え、足の爪がほぼなくても、手の爪もはがれかけて、激痛に襲われているいまでも、全く後悔もイヤな思いもありません。
(確かにパソコンを打つのが少し痛いのですが…)

何事も考え方一つだと思います。

追伸:
とかいいつつ、今不条理だと思って発狂しています。
このブログを書こうと思って、最後まで書いて、後は送信のみ!となっていたのに…
操作ミスで全部きえました~~~はい~無い~~。
だから、この文章は2度目です。
めっちゃ文章が乱文なのは、2度目だからです。

それは、ほんとうに、不条理だと思っています。
なんで消えたの~~~!!!